新大久保で1月25日土曜日に多文化社会研究会で開催、三谷純子先生(無国籍ネットワーク理事)による講演 無国籍の研究と教育に関するアジア地域会議の報告―日本の主要大学シラバスにおける無国籍の可視性の調査結果を中心に

1月25日土曜日、新大久保で開催される多文化共創フォーラムで9月に開催された無国籍の研究と教育に関するアジア地域会議について無国籍ネットワーク理事の三谷純子が報告します。ご関心のある方は、1月17日までに、多文化研究会へお申し込みください。

 

◆講演3:無国籍の研究と教育に関するアジア地域会議

三谷純子
三谷純子

の報告―日本の主要大学シラバスにおける無国籍の可視性の調査結果を中心に

無国籍の研究と教育に関し、アジア地域での協力の促進を目指す会議が、UNHCR、シドニーのピーターマクムリンセンター、バンコクのチュランコン大学の共催で2019年9月にバンコクで開催されました。この会議に参加し、日本の24の大学のシラバスをいくつかのキーワードで比較検索し、多文化社会研究会や無国籍ネットワークの会員から頂いたコメントも加えて発表しました。無国籍は、24大学中16大学のシラバスに登場しません。調査結果と会議での反応、会議の結論の概要を報告します。無国籍への理解を広げるために私たちができることを一緒に考えていきたいです。

 

 

 

 講演者:三谷純子(東京医科歯科大学・早稲田大学非常勤講師。東京大学大学院博士課程。無国籍ネットワーク理事。元UNICEF広報官、元UNHCR第3国定住官。多文化研会員)

*閉会の辞(17:00) 阿部治子

バンコクでの会議にて(2019年)
バンコクでの会議にて(2019年)

*フォーラム終了後、懇親会を予定

「フォーラム」および「懇親会」に参加をご希望される方は、【1月17日(金)】までにお申し込みください。

○参加申し込み先:阿部治子(多文化研事務局)

ab.haruko[@]gmail.com ※[@]を@に変えて送信してください。

[お問い合わせ]多文化社会研究会 https://tabunkaken.com/

 

●第162回多文化共創フォーラム21のご案内(別添のご案内参照)
「統計データで読み解く多文化共創社会」

昨年は、専門分野が異なる参加者が集い、グローバルな視座と経済学的アプローチで統計データを読み解きながら移民政策を考えるフォーラムを展開しました。
2020年初回はアンケート調査の集計や統計データをいかに読み解いていくか、分析結果から問題解決に向けて示唆的な議論を展開したいと思います。
論理・数学的なことは苦手と思い込んでいた学生さんにとっても、情報分析が得意となる転機です。

主催:多文化社会研究会
日時:2020年1月25日14時~17時(13時30分開場)
会場:カイ日本語スクール本校(新大久保駅徒歩3分)http://www.kaij.jp/location/
会費:当研究会会員・学生は無料、それ以外は1000円
締切:【1月17日(金)】までにお申し込みください。
*申込先:阿部治子(多文化研事務局)
ab.haruko[@]gmail.com ※[@]を@に変えて送信してください。

*配布資料1:川村・万城目「外国人集住都市会議群馬・静岡ブロック調査報告書」
*配布資料2:UNHCR, the Peter McMullin Centre on Statelessness and the Social Research Institute of Chulalongkorn University.“Researching and Understanding Statelessness in Southeast Asia:The Role of Academic Research and Education.” Bangkok, 25-26 September 2019
*参考文献:川村・郭・貫・原著『統計データで読み解く 移動する人々と日本社会-ライフサイクルの視点から情報分析を学ぶ』ナカニシヤ出版2013
*新刊紹介:芹澤健介『となりの外国人』マイナビ新書2019年12月
*総合司会:大野勝也(日本大学大学院文学研究科社会学専攻博士前期課程)
*開会挨拶:茅野礼子(作家。女性史研究家。多文化研会員)

◆基調講演:外国人住民の高齢化に関する調査結果と分析からの実証的研究

日本における在留外国人数は、273万1093人(2018年12月)、その中で65歳以上の外国人の総数は、17万5789人、6.6%となっています。
統計データに着目すると外国人集住都市会議会員都市においても高齢化率は増加しています。
群馬・静岡ブロックでは外国人住民を対象としたアンケート調査を実施しました。
膨大なデータを集計・クロス集計分析し、外国籍住民の高齢化の課題を発見し、解決の道を議論しましょう。
非正規雇用で働いている方が45.8%で、介護保険について75.6%の人がわからないと答えています。

講演者:万城目正雄(東海大学教養学部人間環境学科准教授。多文化研理事。専門:国際経済学)
コメンテーター:貫 真英(城西大学経済学部准教授。多文化研理事)
コメンテーター:二文字屋修(予定)(NPO法人AHPネットワークス執行役員)

◆講演2:なぜ「やさしい日本語」が必要なのか―自治体職員研修から見えること

「やさしい日本語」が一般に知られるようになり、自治体も外国人住民対応の改善のため地道に努力をしています。
2011年から神奈川県内で自治体職員対象に80回余り実施してきた「やさしい日本語」研修経験をもとに、現場での受容をめぐって課題を共有しましょう。

講演者:坂内泰子(神奈川県立国際言語文化アカデミア教授。多文化研理事)
経歴:カリフォルニア大学客員研究員、国文学研究資料館共同研究員、実践女子大学、成蹊大学、東京大学文学部非常勤講師。2003年神奈川県立外語短期大学に着任。『つながるにほんご―かながわでともにくらす』(共著2012)、教材『つながるにほんご別冊活動ガイド』(共著2014)、教材『やさしいにほんごでつながるコミュニケーション・シート』(共著2018)など多数。

◆講演3:無国籍の研究と教育に関するアジア地域会議の報告―日本の主要大学シラバスにおける無国籍の可視性の調査結果を中心に

無国籍の研究と教育に関し、アジア地域での協力の促進を目指す会議が、UNHCR、シドニーのピーターマクムリンセンター、バンコクのチュランコン大学の共催で2019年9月にバンコクで開催されました。
この会議に参加し、日本の24の大学のシラバスをいくつかのキーワードで比較検索し、多文化社会研究会や無国籍ネットワークの会員から頂いたコメントも加えて発表しました。
無国籍は、24大学中16大学のシラバスに登場しません。調査結果と会議での反応、会議の結論の概要を報告します。
無国籍への理解を広げるために私たちができることを一緒に考えていきたいです。

講演者:三谷純子(東京医科歯科大学・早稲田大学非常勤講師。東京大学大学院博士課程。無国籍ネットワーク理事。元UNICEF広報官、元UNHCR第3国定住官。多文化研会員)

*閉会(17:00)
*フォーラム終了後、懇親会を予定
「フォーラム」および「懇親会」に参加をご希望される方は、【1月17日(金)】までにお申し込みください。
○参加申し込み先:阿部治子(多文化研事務局)
ab.haruko[@]gmail.com ※[@]を@に変えて送信してください。
〇問い合わせ先:阿部治子(多文化研事務局)
080-4439-7559(直通)

 

 

ロヒンギャ問題の写真展・講演会のお知らせ

12月10日は世界人権の日ー71年前の国連総会で世界人権宣言が採択された日です。この理念を空虚なものとしないためにも、私たちと変わらずそこにある生活を虚心坦懐に見つめ、再考する機会になれば幸いです。写真展・講演会併せてお気軽にご来場ください。

 

・写真展「Us~学生が見たロヒンギャ~」(入場無料)
「難民」はただ「かわいそうな人々」か。異なる境遇の人々を他者化していないだろうか。そのような思いからUs(私たち)という題名をつけました。(城内さん)
展示の方法にも一工夫施してあります。
日時:12/10~12/17(15日日曜日は休館)
10:00~18:00
場所:27号館ワセダギャラリー(小野梓記念講堂上)
写真家:
城内ジョースケ(早稲田大学在学中)
2018年3月にロヒンギャの人々と邂逅し、不条理に疑問を持つ。ミャンマー、バングラディシュでの手記と写真を元に卒業研究を執筆中。
鶴颯人(立命館大学在学中)
2018年春にミャンマーにあるロヒンギャの村を訪問したことをきっかけに、ロヒンギャ問題の取材を始める。立命館大学新聞デジタル部で「ロヒンギャへの道」(https://ritsumeikanunivpress.com/02/13/177/)を連載。

・講演会 (予約不要・入場無料)
無国籍やロヒンギャの問題についての数少ない専門家であるお二人をお招きして、それぞれの見地をお話しいただきます。
日時:12/14
14:00~16:00(開場13:40)
会場:早稲田大学3号館502教室
講演者:上智大学総合グローバル学部教授 根本敬先生
在日ビルマロヒンギャ協会 Zaw Min Htut氏
テーマ:
根本先生「ロヒンギャ問題の歴史的背景をたどる」
Zaw Min Htut氏「国内外のロヒンギャ難民の状況~無国籍の視座から~」

講演者プロフィール
根本敬教授
専門はビルマの近現代史。著書に『抵抗と協力のはざま』(岩波書店)、『物語ビルマの歴史ー王朝時代から現代まで』(彩流社)、『アウンサンスーチーのビルマー民主化と国民和解への道』(岩波書店)、その他多数。

Zaw Min Htut氏
ヤンゴン大学在学中に民主化運動に参加。治安当局からの拘束の危険を感じ、来日。2002年に日本で初めて難民認定される。国内外のロヒンギャのため、現在まで精力的に活動している。

「『われわれは無国籍にされた』— 国境のロヒンギャ —」 写真展 (国際開発学会&人間の安全保障学会2019共催大会で開催)

今年の東京大学駒場キャンパスで開催される国際開発学会&人間の安全保障学会2019共催大会のサイドイベントとして、在日ビルマ・ロヒンギャ協会、無国籍ネットワーク、無国籍ネットワークユースの巡回写真展「『われわれは無国籍にされた』— 国境のロヒンギャ —」を開催します。難民の問題も主要なテーマとして扱われる学会で、国境地域にある難民キャンプに暮らすロヒンギャ難民の姿を映し出した作品を展示します。

場所:東京大学駒場Ⅰキャンパス

 ( 東京都目黒区駒場3丁目8−1)KOMCEEast B1Fホワイエ

会期:2019年11月16日(土)~17日(日)
時間: 2019年11月16日(土)9:00~18:15
    2019年11月17日(日)8:30~17:40
共催:HSF(人間の安全フォーラム)、BRAJ(在日ロヒンギャ協会)、無国籍ネットワーク、無国籍ネットワークユース

後援:東京大学大学院総合文化研究科グローバル地域研究機構・持続的平和研究センター(RCSP)、東京大学院総合文化研究科「人間の安全保障」プログラム(HSP) 公式HP:https://stateless-network.com/?p=2180

学会自体は入場料がかかりますが、このサイドイベントは入場料はかかりません。

写真家とロヒンギャの方によるトークセッションのスケジュール

11月16日(土)
11時15分~35分;トーク➀
13時20分~40分;トーク➁
17時40分~18時;トーク➂
 
11月17日(日)
10時15分~35分;トーク➀ 
11時15分~45分;トーク②
13時00分~13時20分;トーク③
16時30分~16時50分;トーク④

写真展の企画について

本企画は、無国籍者を支援する特定非営利活動法人・無国籍ネットワークが早稲田大学(2018年12月)、群馬県館林市(2019年6月)において開催した写真展「『われわれは無国籍にされた』―国境のロヒンギャ」(写真:狩新那生助氏・新畑克也氏)の巡回展を、人間の安全保障学会学生部会・上記無国籍ネットワーク・在日ビルマ・ロヒンギャ協会(BRAJ)・特定非営利活動法人「人間の安全保障」フォーラム(HSF)の共催により、本共催大会のサイドイベントとして開催するものである。なお、本企画は持続的平和研究センター(RCSP)の後援を受ける。

本企画の目的は、来場者に、現在バングラデシュなど国外の難民キャンプやビルマ(ミャンマー)の国内避難民キャンプで、悲惨な状況に置かれているロヒンギャの現状を伝えること、そして当該問題に関心がある様々な人々の間に交流の機会を創出することであり、写真の展示に加えてBRAJのメンバーや狩新那氏・新畑氏を招いたトークセッションを設けている(トークセッションのタイムテーブルについては、大会プログラムに記載)。さらに、パンフレットの配布やパネルの設置を通して、BRAJ・無国籍ネットワーク・HSF、各団体の活動について紹介する。

周知のように、ロヒンギャは主にビルマ(ミャンマー)西部のラカイン州に暮らすイスラム系少数民族であり、軍事政権により国籍を奪われて以降無国籍の状態に留め置かれ、長年にわたって差別と迫害を受け続けている。これまで、特に2017年の衝突以降、多くの人々が隣国バングラデシュを主とする国外に逃れているが、バングラデシュの難民キャンプの受け入れはすでに限界を迎えつつあり、ロヒンギャの人々は劣悪な環境下での生活を余儀なくされている。本企画においては、写真家である狩新那生助氏・新畑克也氏が、国境付近のキャンプの中でも世界最大規模のクトゥパロン難民キャンプやビルマ(ミャンマー)の国内避難民キャンプで撮影したものから、展示する作品を選択する。なお、上述のとおり本企画は無国籍ネットワーク・BRAJ共催の写真展の巡回展であるが、同写真展は、日本在住のロヒンギャの当事者団体であるBRAJとの密接な関係のなかで実現した。写真家の両氏が現地を訪問した際も、BRAJの協力を得ている。狩新那氏撮影分の作品については、同氏の近著「クトゥパロンの涙―難民キャンプで生き抜くロヒンギャ民族―」(2018年、柘植書房新社)と「ナフ川の向こうに―バングラデシュで生き抜くロヒンギャ民族―」(2017年、柘植書房新社)から選んだものが展示される。新畑氏の撮影時期は2017年と2018年、狩新那氏は2014年と2017年である。

他方、1980年代以降、日本に逃れてきたロヒンギャも徐々に増加しており、現在、250人から300人程度が国内に居住していると推定される。そのほとんどが群馬県館林市に集住しており、多くが難民認定を受けたり、在留特別許可を得た人やその家族であるが、就労資格がなく不安定な仮放免の状態である場合もある。HSFでは、当時館林市に暮らしていたロヒンギャ女性の協力を得、2017年7月に、ロヒンギャの子供たちを対象とした学習支援プロジェクトを立ちあげた。現在も館林市内の公民館において、隔週で学習支援活動を展開しており、各回数名から十数名の子ども(未就学児から中学生まで)の参加がある。彼らの多くは日本で生まれた日本語話者であり、日本の学校に通学し、日本語を用いて勉強している。本企画では、こうしたHSFの活動や市内の子どもたちの様子等についても、差し支えのない範囲で紹介していく。

ロヒンギャ難民について

ビルマでの迫害が一層高まった2017年から大量のロヒンギャが村を焼かれ、虐殺を逃れるためにバングラデシュの国境を渡りました。UNHCRによるとその数は70万人を超えると言われています。ロヒンギャに対する差別や迫害と暴力は今始まったことではなく以前からバングラデシュに逃れたロヒンギャ難民の数と合わせると現在キャンプやその周辺に住んでいるロヒンギャ難民はUNHCRの推計では130万人もいると言われています。いくつもある国境付近のキャンプの中でもクトゥパロン難民キャンプは世界最大規模のキャンプです。今回の写真展で展示する作品はクトゥパロン難民キャンプで撮影されたものと一部はビルマにある国内避難民(IDP)キャンプで撮影されたものです。

ロヒンギャは人種・宗教・民族による理由から長年にわたる迫害を受け続け、世界のあらゆる国へと逃れていきました。ミャンマー連邦共和国の以前の軍事政権により国籍を奪われ、無国籍の状態に置かれ、今もそのことが難民危機の重要な課題となっています。1980年代後半から日本に庇護を求める人もおり、これまで日本で難民申請をした者は120人程度いると言われています。難民認定や在留特別許可が与えられた者は100人近くいます。呼び寄せられた家族、日本で生まれた子ども、まだ在留資格が与えられていない方を含め、250人から300人のロヒンギャが日本に住んでいると推定されています。多くのロヒンギャは日本の群馬県館林市に集住しており、市民社会の一員として長年にわたって暮らしてきました。

This year as a side event for the JAHSS・JASID Joint International Conference

【写真家】Photographers

狩新那生助(かりにいな しょうすけ)フリーランス・フォトグラファー

フリーランス・フォトグラファーとして何度もビルマとバングラデシュの国境地域を訪れています。

著書には「クトゥパロンの涙―難民キャンプで生き抜くロヒンギャ民族―」(2018年)と「ナフ川の向こうに―バングラデシュで生き抜くロヒンギャ民族―」(2017年)。いずれもバングラデシュ国境付近にあるクトゥパロン難民キャンプとその周辺に住む人たちの生活の様子を撮った作品です。

今回の写真展では両方の写真集から選んだ作品を展示します。

Shosuke Kalinina has visited the border region of Burma and Bangladesh many times as a freelance photographer and at this exhibition we will be displaying photos taken in 2014 and in 2016 (published in 2017 and 2018 respectively), both inside and in the surrounding areas of the Kutupalong refugee camp. His publications include 「クトゥパロンの涙―難民キャンプで生き抜くロヒンギャ民族―」[Tears of Kutupalong: Rohingya People Enduring Life in a Refugee Camp] (2018) and 「ナフ川の向こうに―バングラデシュで生き抜くロヒンギャ民族―」[Beyond the Naf River: Rohingya People Surviving in Bangladesh] (2017).

新畑克也(しんばや かつや)ドキュメンタリー・フォトグラファー

2017年にミャンマー(ビルマ)国内(シットウェのIDPキャンプ)で撮った写真と2018年にバングラデシュ側のクトゥパロンで撮影した写真から選んだものを展示します。ビルマとバングラデシュの両方に住むロヒンギャの生活の様子を撮った作品です。

ミャンマー祭り2019『日本・ミャンマー交流写真展』優秀賞

Katsuya Shimbata has been visiting Rakhine State as a documentary photographer in recent years. He has taken photos of Rohingya living inside Burma in Rakhine state in 2016 and has also visited the Kutupalong refugee camp in Bangladesh in 2017. At this exhibition we are displaying works taken in Kutupalong refugee camp, and those taken in a camp inside Burma for internally displaced people (IDPs).

He received an Award of Excellence for his work displayed at the Japan Myanmar Photo Exhibition at the 2019 Myanmar Festival in Tokyo.

 

 

無国籍の人々と歩んだ10年とこれから ―無国籍ネットワーク10周年記念・出版記念シンポジウム―

プログラム

1.無国籍ネットワークのあゆみ

2.出版記念と連続セミナーのまとめとして、山村医師と当事者との対談。

山村淳平・陳天璽共著『移民がやってきた−アジアの少数民族、日本での物語』

3.基調講演 新垣修教授(ICU)『無国籍のこれまでとこれから』

4.無国籍の当事者、専門家、ユースなどによるラウンドテーブル

 

場所:早稲田大学11号館710教室 MAP

時間:15:00~17:00

※イベントの後に懇親会を開催する予定。詳細は当日口頭で説明する。

予約:フォーム

Poster PDF

山村淳平・陳天璽共著『移民がやってきた−アジアの少数民族、日本での物語』出版記念について 出版社リンク)

https://i1.wp.com/www.genjin.jp//images/book/472815.jpg?resize=281%2C402

山村淳平医師の連続セミナーの内容をまとめ、山村医師と無国籍ネットワークとが協力して編集した著書の出版記念。山村先生の10年以上に及ぶ日本に暮らす難民申請者や強制移動を経験したアジアの様々な国から逃れて来日した人たちに寄り添って支援してきた実践から出来た信頼関係がこのプロジェクトのベースにある。その関係から無国籍ネットワークと共に2年にわたって連続セミナーの形でトークイベントを行い、その内容をまとめたものだ。さらに、日本の難民申請制度事態に関するデータとそれについての分析と解説を加えている。今の日本に滞在する移民(強制移民や庇護希望者/難民、無国籍者)が直面する様々な問題について知るための重要文献の一つとなるだろう。さらに、多くの場合、日本に庇護を求めて来た人が出身国では少数民族や宗教的マイノリティーであることに着目することで、一つの民族や宗教的アイデンティティを中心とする国民国家のナショナル・アイデンティティに関するイデオロギーがマイノリティーの集合的なアイデンティティを抑圧し、迫害し、かれらが国外へと避難するように追い詰める状況を取り上げている。「移民がやってきた」理由は、多くの場合、本国で少数民族やマイノリティーとして生きることが許されず、迫害の対象となり、日本に庇護を求めることになったからなのである。

 

無国籍ネットワーク10周年記念について

陳天璽(ララさん)が10年前に知り合いや他の無国籍の当事者、弁護士等に声をかけて発足した無国籍ネットワーク。小さなボランティア団体として、地道にしかし誠実に活動を続けてきた。無国籍の方に寄り添い、その経験について聞くというのを活動の中心としてきた。その経験に基づいた情報をトークイベントなどを通して発信することで、無国籍者の状況やかれらが抱える問題を引き起こす日本の制度上の問題を指摘してきた。また、法律相談を通して、無国籍者の抱える法的な問題について話を聞き、速やかに弁護士と当事者とを繋げて個々の問題の解決に向けて貢献してきた。また、弁護士、学者、活動家と連携して無国籍と関連する問題(難民申請者、仮放免、収容)について情報発信と議論ができる場を設けてきた。特に、当事者自身の語りの場を設けることに務めてきた。ボランティア団体としてずっと活動を続けてこられたのは、当事者と活動を支えてくれた会員や賛助会員、メーリスに登録された方々を始めとするすべての人のおかげでもある。その応援と支援に対しても感謝の気持ちを込めて今回の10周年記念を開催したい。

 

 

 

 

 

 

【無国籍と日本】連続講座のご案内

無国籍ネットワーク成立10周年の今年、無国籍をテーマにした講座やイベントが相次ぎ開かれます。

なお、7月(毎週土曜日)は早稲田大学オープンカレッジにおいて「無国籍と日本」と題する連続講座が開かれます。

無国籍ネットワークの理事や運営委員、関係者などが講師を務めます。

ぜひ、皆さんも奮ってご参加ください。詳細は以下をご覧ください。

https://www.wuext.waseda.jp/course/detail/46254/

https://www.wuext.waseda.jp/

写真展 「われわれは無国籍にされた」— 国境のロヒンギャ — (6/20 – 6/23) Photo gallery: “We are made Stateless”: Rohingya on the Border (6/20 – 6/23)

写真展 「われわれは無国籍にされた」— 国境のロヒンギャ — (6/20 – 6/23) Photo gallery: “We are made Stateless”: Rohingya on the Border (6/20 – 6/23)

写真展について

[English Below]

6月20日世界難民の日から23日まで、無国籍ネットワーク十周年記念のイベントの一つとして、在日ビルマ・ロヒンギャ協会と共に館林市でビルマ(ミャンマー)とバングラデシュの国境地域に逃れた、ビルマによって無国籍にされたロヒンギャ難民をテーマに写真展を開催します。

ビルマでの迫害が一層高まった2017年から大量のロヒンギャが村を焼かれ、虐殺を逃れるためにバングラデシュの国境を渡りました。UNHCRによるとその数は70万人を超えると言われています。ロヒンギャに対する差別や迫害と暴力は今始まったことではなく以前からバングラデシュに逃れたロヒンギャ難民の数と合わせると現在キャンプやその周辺に住んでいるロヒンギャ難民はUNHCRの推計では130万人もいると言われています。いくつもある国境付近のキャンプの中でもクトゥパロン難民キャンプは世界最大規模のキャンプです。今回の写真展で展示する作品はクトゥパロン難民キャンプで撮影されたものと一部はビルマにある国内避難民(IDP)キャンプで撮影されたものです。

ロヒンギャは人種・宗教・民族による理由から長年にわたる迫害を受け続け、世界のあらゆる国へと逃れていきました。ミャンマー連邦共和国の以前の軍事政権により国籍を奪われ、無国籍の状態に置かれ、今もそのことが難民危機の重要な課題となっています。1980年代後半から日本に庇護を求める人もおり、これまで日本で難民申請をした者は120人程度いると言われています。難民認定や在留特別許可が与えられた者は100人近くいます。呼び寄せられた家族、日本で生まれた子ども、まだ在留資格が与えられていない方を含め、250人から300人のロヒンギャが日本に住んでいると推定されています。多くのロヒンギャは日本の群馬県館林市に集住しており、市民社会の一員として長年にわたって暮らしてきました。

今回写真展を館林市で開催することによって日本人の住民と同じ館林市民であるロヒンギャとの交流と理解の機会になることを願っています。もちろん、現在難民キャンプで、あるいはビルマ国内で、悲惨な状況に置かれているロヒンギャの現状を伝えるのも目的の一つです。特に、館林市を中心に活動している在日ビルマ・ロヒンギャ協会(BRAJ)によるバングラデシュの難民キャンプに向けた支援活動を紹介する予定です。

About the Exhibition

The Stateless Newtwork together with BRAJ will be hosting a photo exhibition featuring Rohingya refugees made stateless by the Burmese government and who are now living in Refugee camps in Bangladesh. Starting on June 20 which is World Refugee Day and finishing on the 23rd this is also one of the Stateless Networks 10 year anniversary events being held this year.

In 2017 the ongoing persecution of Rohingya in Myanmar (Burma) reached an unprecedented level of violence as villages were burned and massacres were taking place. As a result, many Rohingya were forced to flee across the border with Bangladesh. According to the UNHCR their numbers exceed 700 thousand. The discrimination, persecution, and violence directed against Rohingya has been ongoing for the last few decades. When those who had already fled across to Bangladesh in previous years, and who had been living in camps and surrounding areas, are added to those newly arriving refugees, their numbers, according to the UNHCR, come to around 1.3 million. Among the many camps near the border the Kutupalong refugee camp has become the largest refugee camp in the world. The photos on display at this exhibition are mostly taken in and around Kutupalong refugee camp, as well as a selection of photos taken in a camp for internally displaced people (IDPs) inside Burma.

Rohingya, who have faced persecution for many years inside Burma based on issues of race, religion, and ethnic identity, have fled to many countries around the world seeking asylum. They were made stateless because their citizenship has been denied by the previous military government of the Republic of the Union of Myanmar, and this continues to be a major issue of contention in the current crisis. Rohingya have been seeking asylum in Japan since the end of the 1980s, and it is estimated that around 120 Rohingya have sought asylum in Japan. Around 100 have been granted refugee status or humanitarian protection by the Japanese government. When including family members brought to Japan, children born in Japan, and those still waiting for their asylum claims to be accepted, the number of Rohingya living in Japan is estimated to be around 250 to 300 people. Tatebayashi city, in Gunma prefecture has the largest concentration of Rohingya in Japan where they have been living as members of civil society for many years.

It is hoped that the gallery will provide an opportunity for interaction and understanding between Japanese residents of Tatebayashi city and Rohingya who are also residents of the city. The exhibition also aims to raise awareness of the plight of Rohingya in the camps and of those remaining inside Burma. The exhibition also aims to provide an opportunity for promoting the activities of Burmese Rohingya Association in Japan (BRAJ) directed towards assisting refugees living in the camps in Bangladesh.

【写真家】Photographers

狩新那生助(かりにいな しょうすけ)フリーランス・フォトグラファー

フリーランス・フォトグラファーとして何度もビルマとバングラデシュの国境地域を訪れています。

著書には「クトゥパロンの涙―難民キャンプで生き抜くロヒンギャ民族―」(2018年)と「ナフ川の向こうに―バングラデシュで生き抜くロヒンギャ民族―」(2017年)。いずれもバングラデシュ国境付近にあるクトゥパロン難民キャンプとその周辺に住む人たちの生活の様子を撮った作品です。

今回の写真展では両方の写真集から選んだ作品を展示します。

Shosuke Kalinina has visited the border region of Burma and Bangladesh many times as a freelance photographer and at this exhibition we will be displaying photos taken in 2014 and in 2016 (published in 2017 and 2018 respectively), both inside and in the surrounding areas of the Kutupalong refugee camp. His publications include 「クトゥパロンの涙―難民キャンプで生き抜くロヒンギャ民族―」[Tears of Kutupalong: Rohingya People Enduring Life in a Refugee Camp] (2018) and 「ナフ川の向こうに―バングラデシュで生き抜くロヒンギャ民族―」[Beyond the Naf River: Rohingya People Surviving in Bangladesh] (2017).

新畑克也(しんばや かつや)ドキュメンタリー・フォトグラファー

2017年にミャンマー(ビルマ)国内(シットウェのIDPキャンプ)で撮った写真と2018年にバングラデシュ側のクトゥパロンで撮影した写真から選んだものを展示します。ビルマとバングラデシュの両方に住むロヒンギャの生活の様子を撮った作品です。

ミャンマー祭り2019『日本・ミャンマー交流写真展』優秀賞

Katsuya Shimbata has been visiting Rakhine State as a documentary photographer in recent years. He has taken photos of Rohingya living inside Burma in Rakhine state in 2016 and has also visited the Kutupalong refugee camp in Bangladesh in 2017. At this exhibition we are displaying works taken in Kutupalong refugee camp, and those taken in a camp inside Burma for internally displaced people (IDPs).

He received an Award of Excellence for his work displayed at the Japan Myanmar Photo Exhibition at the 2019 Myanmar Festival in Tokyo.

【詳細】 Details

【場所】館林市三の丸芸術ホール 展示室 (Web)
〒374-0018
群馬県館林市城町1-2 (Map)
(東武伊勢崎線館林駅から徒歩10分)

[Venue] Tatebayashi City Sannomaru Arts Hall, Exhibition Room (Web)

1-2 Shiromachi, Tatebayashi City, Gunma Prefecture, Japan (Zip Code: 374-0018) (Map)

【会期】2019年6月20日(木)から23日(日)
Dates: June 20 (Thursday) to June 23 (Sunday) 2019.

【時間 TIME】10:00~21:00

【写真家】狩新那生助(かりにいな しょうすけ)・新畑克也(しんばた かつや)

Photographers: Shosuke Kalinina and Katsuya Shimbata

【共催】在日ビルマ・ロヒンギャ協会、無国籍ネットワーク、無国籍ネットワークユース

Cohosted: Burma Rohingya Association in Japan (BRAJ), Stateless Network, Stateless Network Youth

【問い合わせ Contact】officer@stateless-network.com

Flyer Japanese PDF

Flyer English PDF

 

 

タワウでのフィールドワーク報告書2019

今年もタワウでのフィールドワークが行われました!

学生の皆さんが報告書を書いてくれましたので,是非ご覧ください。

 

 

マレーシア FW 活動報告書

クロスジャスミン

マレーシア、タワウでのフィールドワークを通して強く感じたことは⾃分⾃⾝に対する無⼒感だった。学⽣に過ぎず当事者ですらない⾃分に何ができるのか、実際に滞在中に何ができたのか深く考える経験となった。
最も⾃分の無⼒さを痛感したのは無国籍者の待遇改善、国籍取得などの問題を根本的に解決することが難しい点である。教会が運営している学校で⾏った交流では多くの⽣徒が意欲的に授業に参加していたこと、⽇本の同年代の学⽣と⽐べて⽣徒たちの英語能⼒のレベルが⾼いこと、また、学習⾯のほかにも⾝なりが整っていることやスマートフォンを保持していること、50 ⼈ほどの奨学⽣以外は⾃費で学費を⽀払っていることなど、想定していたほど無国籍の⼈々の⽣活の状況は深刻ではないのではないかと思ってしまうほどの学習環境の良さに驚いた。しかし、実際に⽣徒の家庭を訪問してみるとその楽観的な⾒解は間違いであるとすぐに知った。
国籍がなく不法に滞在している⼈々の集落は⾏政が介⼊しないためか整備が施されておらず、衛⽣的な問題が特に⽬についた。それほど広くはないスペースに詰め込むように家が建てられているため⼈⼝密度が⾼く、構造も⼊り組んだ形になっていた。なによりも、訪問した多くの場所でごみが地⾯に散乱していて、暑くて湿度の⾼いマレーシアでは菌の繁殖が早まり感染症等の原因になるのではないかと思った。とても理想的な⽣活環境とは⾔えなかった。
⽣活の場を直接訪問することで、無国籍者の問題は単純に「国籍がない」というだけではなく、貧困をはじめとする社会的な負の連鎖によって複雑化した問題だと感じた。貧困、⺠族的なマイノリティ、宗教など様々な要素が重なっているというだけでなく、多くの場合保護者の環境が改善されることなくそのまま⼦供に受け継がれている。このような点から考えると協会が提供している教育は⾮常に有益な投資としての役割を担っているといえるだろう。初等教育を受けることがどれほど⼦供たちの⼈⽣に影響を与えるのか、学校に⾏くよりも仕事を覚えるほうが⼦供たちのためになるのではないか、という懸念も考えられるが、こういった社会的な負の連鎖において⼦供の世代にわずかであっても変化を加えることはすごく重要だと思う。教育、特に英語や中国語のようにベースとなる知識を与えることは⼦供たちが連鎖から脱出するチャンスの幅を広げるのに⼤いに役⽴つはずだ。引き続き教会の活動を⽀援するべきだと強く感じた。次回以降の訪問については、学校の関係者の多くが資⾦不⾜による運営の難しさを⼝にしていたため、授業を⾏う教育での⽀援ももちろんだが寄付⾦を集めて提供する現物的な⽀援の形も検討するべきではないだろうか。また、可能ならば活動に無国籍者の⽣活の場の清掃活動も加えたい。⼦供たちにお菓⼦をあげることも重要な⽀援の⼀つだと思うが、そのお菓⼦のごみが結果的に地⾯に投げ捨てられ、⼈々の⽣活環境を汚すことにつながっている光景を⾒るとその⽅法に疑問を抱かずにはいられなかった。住んでいる場所を部外者に清掃される現地の⼈々の抵抗もあると予想できるため実現は難しいかもしれないが、私たちにもできる⽬に⾒える貢献になると思うのでぜひ実現させたい。
無⼒感を感じることが⼤半だったフィールドワークだったが、できたと⾃信を持って⾔えることもある。それは⼦供たちの視野を広げることだ。国籍を持たない⼈たちの集落に住み、国籍を持たない⼦供たちだけが通う学校で勉強する⼦供たちにとって⾃分たちが社会的に不利な⽴場に置かれているということを実際に認識するのは難しいことだろう。むしろ現状に慣れてしまっていたり、当たり前だと感じてしまっていたりするのかもしれない。しかし、当事者である無国籍の⼈々が強く望まない限りは部外者の私たちがどれほど活動したとしても待遇が改善されることは難しいだろう。わずかな変化に過ぎないかもしれないが、私たちが学校訪問を⾏うことで⼦供たちにいま⽣きている狭い環境とは違う世界があることを気づかせられたのではないかと思う。普段⾃分の周囲にはいない容姿の、知らない遠いところから来た⼤学⽣という存在は⼦供たちの印象に鮮明に残っているはずだ。そこで、⼦供たちが成⻑する過程で記憶の中の私たちと⽐較し、⾃由に渡航や就労、教育ができない状態に疑問を持って変化を起こすために⾏動するきっかけになりえるのではないかと思う。間接的ではあるが⼦供たちの将来の可能性を広げることに貢献できたのではないだろうか。
マレーシアで無国籍者の現状を実際に⾃分の⽬で⾒て、肌で感じることで初めて知ることがたくさんあったように思う。国が関わる⾮常に複雑かつ⼤きな問題であるため簡単に解決することはできないだろうが、今回のフィールドワークで関わったすべての⼈たちが少しでも今よりも幸せに暮らすことができるようこれからも活動を続けていきたい。

 

タワウ報告書

中野響⼦

 

マレーシアは、⾼校⽣の私が初めて 1 ⼈で渡った国です。⾼校の 1 年間いつも⼀緒にいて、それから 3 年が経った今でも定期的に会っているマレーシアの友⼈に会いに⾏きました。当時の私は、「無国籍」という⾔葉⾃体知らなかった。そして恥ずかしながら、その⾔葉を知ったのは⼤学 1 年の夏、去年のことです。
「⾶⾏機に乗るって、怖くないの?」12 歳の⼥の⼦から問われた質問の1つです。パスポートを持たない彼⼥らは、国から1度も出たことがない、出ることができない。アメリカで幼少期を過ごした従姉妹を持ち、国外での経験豊富な教授や帰国⼦⼥を含む学⽣に囲まれた環境にいる私にとって、⾶⾏機に乗りのはごく当たり前のことでした。
昨年 12 ⽉の写真展で本格的に無国籍ネットワークユースに参加しましたが、写真家の⽅などから話を聞いたりその写真を⾒ても、無国籍の⽅の状況を単に想像することしかできていなかったのだなと、今となっては思います。⾔葉は通じなくても、実際に彼らの住む家を訪れ、声を聞き、時に涙を流す⼈を⾒ることで感じたものは想像以上でした。現地の⼦どもたちとの交流は、タワウのグレーストレーニングセンター、センポルナの⼩さな⼩さな学校の 2 校でした。前者は、かなり施設の充実した⽴派な学校。後者は、10 畳ほどの⼿作りの建物で、グレーストレーニングセンターの⽣徒とは違い、⼦どもたちは私服を着てかつ裸⾜でした。
どちらの学校に通っている⼦どもたちにも共通していたのは、みんなが「知る」ことに熱⼼だということです。まず異国の地から来た私たちについて知りたいという気持ちが、彼らの私たちを⾒つめる姿から強く感じられましたし、何より私たちの問いかけに積極的に応えようとする姿、私たちに質問してくる姿、交流後に連絡先を交換しようとしてくる姿に、かなりの熱を感じました。
⽇本の学⽣はこうだろうか。私が⼩学⽣の時もこうだっただろうか。タワウに⾏った私たちの多くがこう感じたと思います。
渡航前は、正直この活動で⼦どもたちは満⾜するのか?楽しいのか?この交流に意義はあるのか?と⾃分⾃⾝問うていましたが、あの活動が彼ら、そして私たち⾃⾝に何かしらの影響を与えたということは⾃信を持って⾔えます。交流後にインスタグラムのアカウントを交換した 5 ⼈ほどの⼥の⼦からは今でも時々メッセージが来ます。些細な質問に答えると、とても嬉しそうな反応を⾒せてくれる彼⼥らは、オンライン上でもその可愛さ、健気さが伝わってきます。また来年、フィールドワークに参加できたら必ず参加したいです。
無国籍の状態こそ、教育を受けられなかったり健康を保つことが困難だったりすることで⼦どもの権利が危ぶまれる、無国籍であるからこそ⼦どもである彼らの権利を確⽴しなければならない。無国籍ネットワークユースへの加⼊を後押ししてくださった教授のこの⾔葉をタワウフィールドワークを経てしみじみと感じています。
⼩さなことから、少しずつ彼らに、また無国籍という⾔葉に関連がある⼈々の⼒になれるよう努⼒をしたいと思います。

 

タワウフィールドワーク 2019 報告

無国籍ネットワークユース代表 髙橋礼

 

私はマレーシア・タワウでの滞在を通じて多くの無国籍者たちと交流しました。現体制の無国籍ネットワークユースが、実際に無国籍の方と会うのは今回が初めてでした。私自身も、これまで活字でしか見てこなかった「無国籍」の問題に対して、直接向かいあったのは初めてであったため、多くの価値ある学びがありました。この経験を通して、私は「国籍」とは一体何を意味するのかということを幾度となく考えさせられました。国籍の有無は、何か一目でわかるような印があるわけではありません。また、「無国籍」と一口にいってもその射程は広く、多様な背景を抱えた方がいます。より良い生活を求めて決死の覚悟で海を渡り移り住む人や、生まれたときからどこの国籍も与えられていない二世の子供達、自国では外国国籍を持っていると判断されているのにもかかわらず、当該国では国籍を与えられていない方などがいます。
私たちが交流を行ったのは、主に二世である無国籍の子供達です。低学年の子供達は英語を十分に学んでおらず、意思疎通も容易ではありませんでした。私たちの英語を学校の先生方がマレー語に訳してくださり、やっと伝わるという形でした。しかし、言語の壁があろうと、彼らが無国籍であろうと、私たちがタワウで出会った子供達の無邪気さや好奇心は、普段日本で接するやんちゃな子供達となんら変わりのないものでした。学校の生徒はとても学習意欲が高く、私たちの拙い英語を理解しようとする彼らの目は輝いていました。もしあの学校がなかったら、彼らへの教育とその後のケアはどうなっていたのでしょうか。
無国籍の子供達は基準を満たした学校に通うための正式な書類を持っていません。私たちが訪問した学校は、決して公的に認められた教育機関ではありません。学ぶ生徒数に対する面積の基準も達成できていません。それは、無国籍の問題を抱えた子供達の数が多すぎるためです。少しでも多くの生徒を受け入れるために、午前と午後の2つの授業セッションに分け、教育機関として許容される基準を超えた数の子供を受け入れています。しかし、それでもタワウの無国籍の子供に対する教育は全く足りていませんでした。私たちに快く住居の訪問を許してくださった無国籍の方は、交通費も出せず子供を学校に通わせることができない家庭が多くあるとおっしゃっていました。
マレーシア東部の無国籍者全体の数はわかっていません。しかし、その数が深刻であることが現地の生活で伝わりました。マレーシアに移り住んだ無国籍の方々は、現地の方が嫌がる仕事を主に担っています。今や地域の産業は無国籍の方の労働力に頼らざるを得ない状態となっています。しかし、正式には存在を認めないという政府の態度は欺瞞に満ちたものだと言えます。責任を問うことのできない子供の代にも、教育・就職など重要なライフイベントでその影響が生じているという事実は重く受け止めなければなりません。
また、この状況は、現在の日本で問題視されている技能実習制度と重なります。現在はこの問題は広く認知され、新たな立法による解決が取り組まれようとしています。しかし、海外から低賃金の労働者を確保し、一方で労働者としては認知せず、職業選択の自由を含む基本的権利も認めないという政府の態度により、企業に酷使されている方は大勢います。そして、人権を無視した労働環境に耐えられず、失踪し、オーバーステイとなった実習生が多くいます。またこれは、公的な感知がなされないうちに、新たに子供が無国籍として生まれることにつながる可能性を高い状況だと言えます。マレーシアとは全く歴史的文脈・制度的背景が異なるものかもしれません。しかし、国際化が進む現代では、制度のズレによって国境の狭間に無国籍として生まれる人々の存在は、今後も日本を含む多くの地域で深刻化するものだと推測されます。
無国籍の子供たちは、教育のみならず、学校を卒業した後の就職、あるいは医療などの公的サービスを享受するあらゆる場面で不利な立場に置かれます。いわば、生まれた瞬間からその後の生の見通しを低下させる重荷を背負っているのです。問題の性質ゆえに、局所的な対処では限界も多く、また問題の把握すらも容易ではありません。そして、いかなる制度的対処が必要かを考えることは重要ですが、まずは問題の広範な認知と社会の関心が必要不可欠です。実際の無国籍の問題を向かいあうと同時に、私たち無国籍ネットワークユースの活動の意義を改めて実感する契機となりました。

 

タワウ報告書

市川実花

 

私は活動期間約 3 ⽇のフィールドワークうち、初⽇は⾵邪気味でジャングルを歩きまわり、次の⽇は⾼熱にうなされながら⼦供たちと紙⾶⾏機を⾶ばして恋チュンのダンスを 5 回(記憶なし)、そして最終⽇に完全にダウンした。恐らく、タワウへ向かう前に滞在していた中国から持ってきたものだと思われる。そういう訳なので、残念ながら無国籍の⼦供たちとの交流はあまり記憶にない。実感できるのは、彼らのインスタグラムの投稿が時々TL に流れてくる時くらいだ。それでも、帰国後にそれなりに考えたことがいくつかあるので、本レポートではそれを共有しようと思う(無理⽮理)。

① 慣れ、に付随する油断
帰国後、私は初めて途上国に⾏った時のことを思い出した。胃薬、⾵邪薬、酔い⽌め、防寒具、⾬具、ビニール袋、ウェットティッシュ、⼤量の⽔にとけるティッシュ。これでもかと念には念を⼊れて準備をしていた。しかし、いつからかこれらを何ひとつ持って⾏かなくなっていたのだ。慣れとは怖いもので、パスポートとスマホとお⾦さえを持てば後は現地調達すれば良い、という明らかな油断があった。私は⽐較的環境に適応できる⽅で、地⾯に掘ったただの⽳をトイレだと⾔われても多分動じないし、しばらく洗っていなそうな包丁で切られたフルーツも⾁も⿂も全然⾷べる。しかし、体調を崩したときだけは違った。幸い、タワウ滞在では、現地に住んでいるコーディネーターの⽅、中国語のできるララさん、⾃分たちが持っている薬を各々少しずつ提供してくれたユースの皆がいたのと、滞在先の環境が素晴らしかったのでほとんど不便はなかったけれど、これが⼀⼈だったら、⾼熱にうなされて動けなかった私は無事に病院にたどり着けただろうか。⽇本という温室のような環境で育った私が、より⼒強く⽣きている⼈々の環境に遺伝⼦レベルで適応できるわけがなかった。こういう油断をするのは、あと100回くらい海外に⾏ってからにしようと思う。

② 偏⾒について。
マレーシアの病院を経験して、⼀番驚いたことは、お尻に注射を刺されたことだ。⼀番感⼼したことは、注射針がちゃんと使い捨てだったことで、⼀番安⼼したことはイギリスでPh.D を取ったお医者さんに診てもらえたことだ。⾃分がマレーシアの病院に何を思い描いていたかは分からないが、それは⾃分が思っていた数倍良い環境だった、注射をお尻に刺されたことを除けば。つまりそれは私が何かしらの偏⾒を持っていたということだ。しかし私は⾃⼰紹介で⾃分のことを地球市⺠だと⾔うこともあるし、何にも偏⾒は持っていない、と勝⼿に⾃負していた。⽇本社会において、偏⾒を持つのは良くない、と諭される機会は意外と多い。ジェンダー、セクシュアルマイノリティ、外国⼈、障がい者などへの理解・関⼼が⾼まった現代だからこそだと思う。しかしそこで私は思う。私がこの偏⾒を持たないことは可能だったのか、と。実際に⾏って⾒たり経験したことがないのだから、勝⼿なイメージを持つのはごく当然のことではないのかと。⽇本で⽣きていたら、マレーシアの医療事情など知る由もない。諭されるべきは、偏⾒を持つこと⾃体ではなく、本物に出会ったときにその偏⾒をアップデートする柔軟性を失うことなのではないか。後者でも良いのだ、というある種の伸びしろのようなものをもっと強調すれば、多くの⼈がもっと容易に、そしてもっと単純に、⾃分と異なるアイデンティティと接することができるのではないかと考えた(もちろん何の偏⾒もないと⾃信を持って⾔えるのであればそれに越したことはないが)。

③ ⼼にあと少しの余裕を。
⾼熱にうなされる私を(気持ち的にも体温的にも)救ってくれたのは、SNY のみんながセブンイレブンで買ってきてくれた熱さまシートだった。英名は“Bye-Bye Fever”。粘着剤によって、睡眠状態にありながらも冷たさを固定しておける。体に微妙にフィットしない⽔⼊りペットボトルとは格段に快適さが違うし、⽔滴で体が変に冷える⼼配もいらない。本当に素晴らしい発明品だと⼼から思った。でも、もしも⽇本で⾼熱を出していたら、そんなことは思わなかっただろう。⽇常とは切り離された環境下で、諸々の不安要素が混在していたから、微かな光が普段よりも際⽴って⾒えたのだと思う。便利さとは何だろうか。私の⽣活を正常に成⽴させるためには、スマホ無しの⽣活にはもう戻れない。ガラケーを買ってもらい⼤喜びした⼩5の感動は⼆度と味わえない。物質の豊かさは時に⼼の豊かさを侵⾷する。“幸せ”が相対的なものだという事実に⽬を向けると、幸せに⽣きる、というのにも絶対的な尺度がないことは明らかで、変な⾔い⽅をすれば、⾃分がいかに幸せだと思い込むかということに⾃分の幸せは託されている。今⽇も健康に⽬覚めてよかった、早稲⽥⼤学が潰れなくてよかった、電⾞が動いていてよかった、地球が滅びなくてよかった…感謝することは⽇常に無数に転がっている。⼈によって体感速度は違えど、常に進歩し続けるこの世の中で、今この瞬間まで当たり前に存在している事物に⽬を向けることは⾮常に困難だ。しかし、幸せのハードルを下げて⽣きることほど幸せなことはない。私は、功利主義的な考えの中では損をするタイプかもしれない。
以上が、私のマレーシア滞在での気づきです。最後に、ララ先⽣、デイビット、ローさん、SNY のみんな、迷惑をかけたすべての⼈に感謝の気持ちを込め、国をまたぐ周遊の旅は⼆度としないと誓います。

 

マレーシア・タワウ研修旅行 報告書

2019年4月20日 早稲田大学政治経済学部2年 島田幸汰

  1. 概要

日時:3月2日〜3月6日 場所:マレーシア ボルネオ島 タワウ、センポルナ 参加人数:ユースメンバー7人+陳教授

  1. 目的

タワウの無国籍の子どもたちと触れ合い、生活を学ぶことで無国籍者のことをより良く知り、これからの 活動に活かす。

  1. センポルナとその周辺島々への訪問について

本報告書の中では、センポルナとその周辺島々への訪問について記述する。 ユースメンバー4人と陳教授、現地の方2人でセンポルナやその周辺島々を訪問した。日帰りで合計3 つの島を訪問し、うち1つでは無国籍の方々の生活を見ることができた。

センポルナまでの1時間以上の道のりは、現地の方2人の車の運転してもらったが、ユースメンバー全 員が参加した場合、タクシーなどの手段を取る予定であった。

センポルナでは船に乗り継ぎ、最初の島を訪問した。その島では山登りを体験し、現地の観光業を知 ることができた。島の最高峰からの景色はとても綺麗で、日本では見られないような風景を眺めることが できた。

2つ目の島では、現地のリゾートホテルが運営されている島を訪問した。綺麗な海に囲まれていた島に は多くのコテージが並び、結婚式などを挙げるにはもってこいの場所のようだった。また、そのリゾートの 雇用について興味深いことを聞くことができた。そこでは無国籍の方も雇用しているらしく、英語の教育 やOJTでしていると聞いた。また、この島では短い時間だが、海に入りシュノーケリングなども楽しむこと ができた。

最後の島では、無国籍者の住む村を訪問することができ、彼らの実際の生活を見ることができた。また 案内をしていた方が建てた学校にも訪問し、子供たちと交流することができた。島では、何軒かのお菓子 を売っている店があった。また、船を作ったりする男性や子育てをしている女性などもいた。賭け事をして いる島民の集団もいた。学校では子供たちは英語の基本的な挨拶ができていた。そこで紙飛行機など の遊びを教えたり、交流したり、お菓子を配ったりすることができた。

帰りの船では波が荒れ始め、服が濡れることが多く、着替えを持って行く必要があった。

  1. 課題と反省

本訪問には、大きく課題と反省が2つある。 1つ目は、ユースメンバー内で事前の情報と意見の共有が十分なされておらず、3月2日の夜に長い時 間会議をせざるを得なかったことである。訪問先が外務省の安全情報ページで危険度がレベル3表記さ れていたことから、訪問するかしないかの議論が行われた。この議論は必要不可欠ではあったものの、 前日に決定事項を出したことで、先方への迷惑が生じた。同時に、訪問しないと決断した当初訪問予定 だったユースメンバーは行程を変える必要があり、予定外の別行動となった。そのため、情報共有・意見 共有そして意思決定がより早い段階でなされる必要があったと考えられる。

2つ目は、我々の目的が薄れてしまっていたことである。楽しい時間を過ごすことはできたが、無国籍 者がいる島の訪問は1つのみに終わってしまった。現地の方の都合もあったのかもしれないが、事前の Facebookを使った打ち合わせなどで我々の大きな趣旨を伝える必要があったように感じる。

また、小さい課題点も多かった。例えば、船の中においておいた服がなくなることや、着替えを持って行 かなかったことによって少し不便が生じた。

 

⿃尾祐太
早稲⽥⼤学政治経済学部政治学科⼆年
無国籍ネットワークユース

タワウでのスタディツアーを通じて

 

2019 年 3 ⽉ 1 ⽇、⽻⽥空港を⾶び⽴った私たちは KL を経由し、翌⽇タワウへと降り⽴った。タワウと聞いて、その場所が分かる⼈はほとんどいないのではないだろうか。かくいう私も今回のスタディツアーで初めて、この地名を⽿にした。そのタワウに暮らす⼈々の中でも最も「不条理」を被っている⼈々―「無国籍の⼈々」−と交流を深め、その⽣活の実情を知ることが我々の主たる⽬的であった。
3 ⽉4⽇、我々は「Grace training center」という無国籍の⼦供たちが通う学校を訪れた。ここには⼩学⽣から中学⽣にあたる年齢の⼦供たちが通っており、教会によって運営されている。授業は基本的にマレー語で⾏われているが、英語教育も充実している。私が担当した 10 歳児のクラスの⼦は皆英語を話すことが出来た。これは⾃分にとって⼤変驚くべきことだった。「先進国」⽇本の中でも⽐較的恵まれた⽴場にいる早稲⽥⽣の多くよりも流暢に英語を喋っているのだから。⽇本の英語教育の次元の低さを嘆くと共に、純粋に⼦供たちの優秀さに感嘆させられた。正直なところ、交流をしているときは無国籍であることを意識する瞬間は皆無であった。そうした意識の加速には、スマートフォンを持っている⼦が多かったという要因も⼤きく寄与していただろう。⼦供たちは「IG 教えて」と私たちに⾔ってきた。何のかことか分からず聞いてみると、Instagram であった。もしかしたら私より先にインスタというツールを使い始めていたのかもしれない。⼦供たちに対する学校での印象はつまるところ、活発で、優秀な「現代っ⼦」というイメージであった。無国籍であることの苦悩を感じることはなかった。
しかし翌⽇に⼦供たちの家を訪問したことにより学校で抱いた印象は⼤きく変化することとなった。彼、彼⼥らの家は海辺にあった。ただ、このことが意味するところは「美しい⾵景」では決してない。そこに広がっていたのはイリーガルに建てられた「家」の村であった。国籍がないため、合法的に⼟地を得ることなど勿論できない。そのため船で海からやって来て、たどり着いたところに家を建て始めたようだ。「家」に⼊ると、床は斜めっていて中は薄暗い。住みやすい環境では全くない。その⼀⽅、テレビはあり聖書を題材としたアニメを⾒ていた。教会が DVD を配布したのだろうか。もちろんテレビの電波も違法で受信していることになる。
他の家を訪ねた際は、5⼈ほどの家族が集まっていて⾊々と話を聞かせてくれた。彼、彼⼥らは「トラジャ」と呼ばれる⺠族の⼈々であった。トラジャの多くはインドネシアに住んでいるのだが、より「マシ」な⽣活を求めて海を渡ってきたそうだ。ただ、そうはいっても⽣活は貧しい。その家族は闘鶏と農業で⽣計を⽴てているようだったが、決して「稼げる」暮らしではない。それに学校へ通わせるのも完全にタダとはいかないようだ。彼、彼⼥らが最も財政的な困難に直⾯するのは葬式の時である。私たち⽇本⼈の感覚でいえば、「なぜ?」と思うだろうし、それは他の多くの国⼈々にとっても同様であろう。これにはトラジャの宗教が⼤きく関係している。トラジャの宗教では家族が全員集まらないと葬儀を⾏うことが出来ない。それまではミイラ化した遺体と⼀緒に⽣活するそうだ。
そのあたりに関しては、下の記事などを参考にしてもらいたい。
(https://courrier.jp/news/archives/92749/)
タワウに住むトラジャの家族は、お⺟さんの葬式に出るために何年間もかかってしまったと嘆いていた。ただでさえ帰省するのにお⾦はたくさんかかるが、より故郷へ帰ることを困難にしている要因がある。それは無国籍であるという事だ。無国籍である故に、合法的なルートで国境を超えることは出来ない。そのため「闇の」業者に頼んで送ってもらわざるをえない。そのため渡航費は通常よりも⾼くなってしまう。我々が当たり前に享受していることが決して当たり前ではないことを改めて痛感させられた。
「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努⼒の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。」
この⾔葉は 2019 年 4 ⽉、東京⼤学の⼊学式で上野千鶴⼦⽒が述べられた⾔葉である。我々は当たり前のように教育を受け、職を得、ときには海外へも⾏く。ただこれは決して「普通のこと」ではないのだ。「たまたま」⽣まれながらにして⽇本国籍を得た私はその時点で恵まれている。さらに⾔えば、早稲⽥⼤学という有名な⼤学で学ぶことが出来でいる。昔は努⼒のおかげだと思ったこともあったが、それは与えられた環境下での努⼒にすぎなかった。だからといって、決して悲観的になる必要はないと思う。東⼤の⼊学式の祝辞の終盤、このように上野⽒は述べられた。
「あなたたちのがんばりを、どうぞ⾃分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能⼒とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、⾃分の弱さを認め、⽀え合って⽣きてください。」
無国籍という「恵まれないひとびびと」に対し、⼤きな助けとなることはできないかもしれない。しかし、この問題を知り、当事者と関わったものとして⾃らの恵まれた環境を活かし、学び、この問題の周知に努めたい。

 

SNY タワウ研修 報告書

早稲田大学政治経済学部政治学科 2 年
倉田怜於

1.SNY の⼀員としての⾃分なりの⽬標設定
今回のタワウ研修は、最初話をいただいたときから渡航直前まで活動内容が不明な点が多く、目標設定が難しかった。一方で、われわれ SNY が研究対象としている「無国籍」の方々の生活実態を知らないことに、メンバー一人ひとりが自覚的であり、僕は無国籍をじかに感じることを第一目標とした。
そして発展的な目標として、それを受けて自分は何ができるかを考えることにした。今回、チャリティで無国籍の
子供たちのために開かれている学校があること、そして(これは現地で知ったことだが)センポルナ港から行くことができる島の一つに無国籍の人々が住んでいるところがありそこに学校を創設している方に案内してもらえることが事前に分かっていたので、まずはケーススタディとして、彼らがどのような活動をしているかを知ることに努めたいと思った。
2.現地にて
今回の渡航の中で無国籍の人々と触れ合う機会は大きく2回あった。1回目は、渡航2日目にセンポルナ港からフェリーで渡り、いわゆる「海の民」としての生活をする無国籍の人々の住む島に上陸したとき、もう1回は、渡航3日目に先述したチャリティで開かれている学校に伺って通っている無国籍の生徒たちに教育支援を行ったときである。なお、学校に通う生徒の1人が住んでいる今度はいわゆる「陸の民」の生活をする無国籍者が集住するエリアに渡航4日目に学校の先生の協力を得て訪れ、そこに住まうご家族ににお話を伺う機会もあった。ここでは2日目のこと、3、4日目のことの二つに分けて感じたことをまとめたいと思う。
2.1 渡航 2 ⽇⽬
渡航2日目は、今回の渡航を通じてガイドをしてくださったデイビットとロン両氏の協力を得て活動した。外務省が発表している危険度の問題もあったが、僕はセンポルナ港から3つの島を回るコースを選んだ。
うち2つの島は観光地やリゾート地であったが、残りの1島は無国籍の人々が住み着く島であった。我々が案内されたのはその島に住む無国籍者のなかでも裕福な層が住む地域であった。まず島の様子を項目別にまとめる。
(住居)そこでは海の上に家を建てたり海岸線ギリギリのところに家を建てたりして生活していた。家の中まで見ることはできなかったが、外から見る限り木造である程度しっかりした構造の家が立ち並んでいた。
(人々・衣服)住んでいる人々の内訳は、子供とそのお母さん、またおじいさんやおばあさんとみられる人がほとんどで、大人の男性はボートを組み立てていた数人を除きほとんどいなかった。大人・子供ともに痩せ細った体型の人はおらず、みなみたところでは健康体とも言える様子であった。大人たちは洋服を着ていたが、子供たちのなかには上半身が裸、もしくは全身が裸の子供もいた。一方で、ディズニーキャラクターのミニーがプリントされたラウンジセットのような服を着ている子供や、サッカー選手のレプリカのユニフォームのようなものを着ている子供もいた。赤ちゃんも複数の家におり、バネがついていて上下に動く吊り下げ式のゆりかごが印象的であった。子供たちは、我々の訪問に興味を持ち、一部の子供たちがどこまでもついてきた。しかし、徐々に“Money!”とお金を要求するようになり、これについてはデイビット氏からあらかじめ情報を得ていたので難なく対応できたが、生活の実態を表しているのだろうと感じた。ちなみに、ある家に足を負傷した少年がおり患部にハエがたかってしまうため困っているという話を聞いた。その流れで話を聞いたところ不定期に訪問してくれる医者がいるという。
(食事)彼らの主食が何であるかを調査し忘れた。だが、気になったこととして、地面(ここでは砂浜であるが)にお菓子のプラスチック包装のゴミが散乱していたことである。かなりの量が捨てられていた。ゴミを処理するシステムが確立されていないことは要因の一つであるが、そもそもなぜこのゴミが存在しうるのか、つまりどこからお菓子が来ているのかが気になった。その原因の一つは以下に記載する我々も参加した活動の一つが関わっているように思う。
(島の様子)海岸線に沿って住宅が立ち並んでいたことは先述の通りだが、中には家の前で商店を営む家もあった。
印象的だった施設・生活の様子が主に3つあった。まず喫煙スペースがあったことである。一見では何のためのスペースかわからない、木で簡易的に囲まれたスペースがあったが、聞いてみると喫煙スペースだということだった。2つ目はスポーツ用のコートがあったことである。我々が訪ねたときは、家の周辺で遊んでいた子供たちに比べ年齢層が高めの子供達がバレーボールをして遊んでいた。真ん中にはネットが張られ、ビーチバレーのごとく遊んでいた。
そして3つ目が家の前で賭け事をしていたことであった。トランプを使い、ポーカーのような要領でカードが配置されていた。手元にはリンギット札が重ねられており、さらに驚くべきことに、その額は卓上にあるお札を合計すれば2000 円相当の額があったのである。出所や使い道については不明である。
ここでの我々の活動をまとめる。まずその島に訪れた理由は、ガイドのデイビット氏が学校を不定期に開いているからで、教室に相当するスペースもあった。われわれはデイビット氏に授業をするよう依頼され、折り紙を集まった生徒一人に一枚配布し紙飛行機を折り、飛ばす体験をしてもらった。その前後に、デイビット氏が本土から持ってきたお菓子やペットボトル入りのジュースなどを子供たちに配った。これが(食事)の項で触れたお菓子のゴミの理由の一つだと考えられる。
ではここで我々にどのようなことができるだろうか。デイビット氏の活動は、現地の人に名前を呼ばれ上陸すれば子供たちが集まってくる人気を得ている点、そして学校教育を普及させた点で大変有意義なものであると思う。しかし、その人気の源には食べ物や飲み物を定期的に持ってきてくれることが大きく関わっていると思った。それはわれわれがお菓子を配った際の子供たちのもらう様子が慣れていたように感じたことが理由の一つである。ここで僕が持った疑問点は2つで、ひとつは食べ物や飲み物を配布するとしても、栄養バランスが悪く依存しやすい塩分の多いお菓子を配布することは現地の子供たちに悪影響を及ぼしてはいないか、ということ。もうひとつはそもそも食べ物や飲み物を配りに行くよりもっとよい貢献の方法があるのではないかということだ。とりわけ2つ目については、青年海外協力隊のように物資ではなく技術を伝えることが大事なのではないかと感じた。
2.2 渡航 3・4 ⽇⽬
渡航3日目は、現地に住む無国籍の子供たちが通うチャリティで設立された学校を訪問し、教育支援を行なった。
翌日の4日目はその学校に通う生徒の1人の住む地域を先生に紹介してもらい、生活実態を見させていただいた。
3日目にうかがったのは「Grace Training Center」という学校で、Calvary City Church Tawau という教会が寄付金などをもとに運営している。この学校には年齢幅の広い生徒が在籍しており、上級生(中学生以上)と下級生で着ている制服が異なる。上級生はいわば下級生のお世話がかりのような面もあるようで、我々が模擬授業しに伺っている間、様々な場面で助けてもらった。学校のシステムとしては午前と午後の二部構成で、それぞれ入れ替わりで授業が進行している模様であった。それでも入学を希望する子供全員を受け入れられているわけではないらしく、毎年審査を行い漏れてしまう人もいるそうだ。我々は英語で授業を行ったり日本語を交えたり日本の文化を伝えたりする授業を行った。感想としては、子供たちがとても規律正しくまた秩序を保って動いていたことが印象的だったことがある。先生がいつものように号令をかけると、生徒たちはいっせいに挨拶を我々にしてくれた。また、僕が折り紙を教える授業を一回実施し、紙を配布する際、色や柄まで配慮することができず適当に配ってしまった。しかし自分の欲しい色の折り紙を隣の生徒が持っていても決して奪い合いなどにはならず、平和的に交換するか、僕に直接何色が欲しい、など教えてくれたことは、日本の学校教育を経験しているからこそとても意外な出来事で驚いた。
ここでの交流で驚いたこととして他に、子供たちが Instagram のアカウントを持っていたことだ。帰る直前、集合写真を撮ったあと、我々のもとに子供たちの列ができた。中には名前だけ書いて欲しいといって普段使っているのであろうノートや教科書とペンを持ってきてサインをせがまれることもあったが、大体が IG、つまりインスタグラムのアカウント名も名前と一緒に書いて欲しいというお願いのされ方をした。さらに上級生の中には私用のスマートフォンを持っている子もいるようであった。ただしこの事情は翌日の家庭訪問での会話で多少理解された。後述する。
4日目は先述の通り、前日訪問した学校の生徒のうちの1人の住む地域に、先生の紹介でうかがった。2.1 に倣い、まずは項目別で整理したい。
(住居)こちらも海岸近くに集住するかたちで形成された無国籍者の住む地域であるが、こちらは農耕や養鶏をする習慣をもつ人々であった。住宅は高床式の家もあったが、地面に着くように建設された家屋も多く並んでいた。訪問を許してくれた生徒の家にお邪魔して中を拝見した。昼間ながら薄暗く、天井も低い構造であったが、重要なことは電気が通っていた点である。その地域で上を見上げると電線というより導線という細さの線が引かれていて、各家に配線されていた。話によると、近くの公式な電線から業者(もちろん闇の業者である)が電気を盗んで、配線しているものだという。そしてその非合法な電気はかなり利用されているようで、うかがった家ではテレビを動かしたり扇風機を回したりするのに利用されていた。なお、テレビでは中国語の DVD が再生されており、アンテナはないのでテレビは見られないものと思われる。
(人々・衣服)2日目の島で出会った子供たちと違って、見知らぬ我々とは距離を置く傾向にあった。しかし同時にお金をせがむ子供たちもいなかった。衣服はみんな上下ともに着ていて、困っている様子はなかった。
(食事)詳しい食事の事情については詳しくはわからなかったが、農耕と養鶏を行なっていることはポイントである。農耕の目的の一つは後述の通り都市に出て売るためであるが、自給自足の生活も営んでいるという。養鶏については、元の目的は闘鶏だそうで、選手生命を終えると食用に回されるらしい。
学校に通う子どもを持つ別のある家で 30 分程度ゆっくり話を聞かせてもらった。主にルーツと家計の話をした。
その家庭はフィリピンにいる家族の一部が渡ってきて、子どもを産んで住み着くようになった無国籍者たちであった。故郷のことは忘れないが、帰る金銭的余裕がないのでなかなか戻れないという。ここでの渡航も公式の何かをさすのではなく、やはり彼らのようなパスポートを持たず正式な手続きでは渡航できない人々をターゲットにした輸送業者による便を指す。従って、足元を見た価格になっていると言っていた。収入についてであるが、その家に関してはさきに触れた家の近辺の農耕で栽培した野菜を都市に出て販売しているそうで、その実収入は月あたり 100 リンギット(日本円で 3000 円相当)である。他方支出に関しては、ある程度は自給自足で賄えているそうだが、生活の上では様々な支出が必要であり、さらに子供を学校に通わせる交通費(バス運賃)がかかるためその負担も大きい(話によると、バス運賃代として1日往復で計 2 リンギットかかるそうだ)。ここから一つ考察するならば、チャリティの学校だとはいえ、ある程度家計に余裕のある家庭であることが必要だということがある。これは先述のスマートフォンその他の話とリンクする事情だと考えられる。
最後に考察として我々が彼らにできることはなんであるかを考えたい。彼らの生活困窮の最大の理由はやはり国籍を持たないことであろう。都市に出ても働く先がない、合法的に住めないので違法建築をするほかなく、国家権力に怯えながら生活せざるを得ない、子供に出せる教育資金なども寡少になってしまう、など悪循環である。しかし学校に行く機会があるというのはかなり希望のある状況ではないかと考える。外部からの情報を定期的に得ることができ、自ら学びに行く姿勢が身につくので、自分の現状に何か疑問を抱いたときその感情が強い動機・原動力となり無国籍を脱却できる学を得られるようになっているかもしれない。だから、我々にできることの一つは学校教育の充実であると考える。受け入れなくてはならない人数が多いためみんなに満足されるような授業を展開するのは難しいかもしれない。しかしそのなかでも特別な体験をしたことで奮起される生徒が1人でもいればそれは成果であろう。生徒たちは非常にものごとに熱心で、友達同士とても仲よさそうに付き合っていた。そのエネルギーをじかに感じたからこそ、この期待を抱けたのだと思う。

第14回 すてねとカフェ大阪 報告 

第14回 すてねとカフェin大阪を開催しました。

無国籍ネットワークでは、2019年3月16日に「すてねとカフェin大阪」を開催しました。毎回ご参加下さるメンバーの方や初めて足を運んで下さった方など、15名ほどの参加がありました。

前半は、このたび無国籍ネットワークが新たに交流を始めた「NPOみぎわ」の松原宏樹さんより特別養子縁組についてお話いただきました。「NPOみぎわ」さんは、奈良県を拠点とした第二種社会福祉事業特定非営利活動法人で、生みの親がどうしても育てることのできない赤ちゃんを特別養子縁組して育ての親に託したり、養子縁組が困難な障害を持った赤ちゃんを引き取り、家庭に近い形で育てるといった主に「子どもの命を救う」活動をされています。その他にホスピスケアの理念に沿って病や障がいがあっても最期まで寄り添う家「ホームホスピスみぎわ」も運営されています。

まず、昨今の児童虐待ニュースを例に挙げながら多くの幼い命が奪われている現状が示され、児童相談所の対応への批判が高まっているのはもっともであるが、非正規雇用が多くを占める児童相談所の雇用形態で急増する相談への対応が不可能である点について説明がありました。また虐待による死亡の時期については、出生0日目が圧倒的に多くなっている、つまり、出産したもののそのまま亡くなるという形の虐待が多いとの説明がありました。さらに年間約20万人の中絶、1日に465人、3分に1人の赤ちゃんが中絶されているという具体的な数字が述べられ、実際にはこれ以上の赤ちゃんが中絶されているはずであるとのお話がありました。中絶という名の「合法的殺人」が大きな社会的な問題になることなく受け入れられている現代日本の姿がグラフ等とともに示されました。また、昨今の技術進歩により、出生前の検査が可能になった反面、異常が見つかった場合の90%以上が中絶を選択しているとの指摘もありました。

無事に生まれてきても実親と暮らせない子どもの環境は、施設擁護と家庭擁護に分類されます。施設擁護には、原則0〜2歳の乳児院と原則3〜18歳の児童養護施設などがあり、家庭擁護には、里親、ファミリーホーム、養子縁組があります。最後の養子縁組のなかに普通養子縁組と特別養子縁組があり、「NPOみぎわ」さんは後者の特別養子縁組をサポートされています。特別養子縁組は、6歳未満の子どもの福祉を目的としてつくられた制度で、血のつながりのない育ての親と子どもが法律上、実の親子になり、親権は実親から養親へと移ります。日本では社会的養護を必要とする子どもの大半は乳児院や児童養護施設などにとどまっており、里親と一緒に暮らす割合が、オーストラリア(2014〜15年)では91.5%、英国(2015年)および米国(2014年)では75%に対し、日本ではわずか15%と際立って低い点が明らかにされました。2018年10月時点の日本では、生みの親のもとで育つことのできない子どもの数が約46,000人で、そのうち15%が里親家族、85%に当たる約39,000人が乳児院・児童養護施設で暮らし、わずか0.8%が特別養子縁組で家庭に引き取られているという状況です。無国籍ネットワークではこれまで家庭のない無国籍の子どもなどに関する相談はあまり寄せられていませんが、私たちが知らないだけかもしれません。多様化する現代社会において、今後このような課題が出てきても不思議ではありません。今回「NPOみぎわ」さんのお声がけにより始まった交流を通して、救える命は何としても守りたいという松原さんの強い思いが伝わってきます。国籍の有無にかかわらず重要な問題ですが、無国籍者にとっては法制度が壁となって消えている命があるかもしれません。無国籍ネットワークとしてもこのつながりを大切に育み、命を救うお手伝いをしていきたいと思います。

 後半は当ネットワークの運営委員の丁章さんより「ニュージーランドVISA取得顛末記2018」と題したお話がありました。在日コリアン3世、「無国籍の朝鮮籍」である丁さんは、2018年11月30日〜12月4日にかけてニュージーランドで開催された、在日コリアンをテーマにしたシンポジウムに詩人として招聘されました。「無国籍の朝鮮籍」の丁さんは朝鮮民主主義人民共和国のパスポートも大韓民国のパスポートも持っていません。日本が発行する「再入国許可書」を旅券代わりにして日本を出入国しています。これまで中国、台湾、シンガポール、オーストラリアに入国したことがあります。そして、今回初めてのニュージーランド渡航を予定したのですが、出発当日の空港で、発給されたと思っていたビザが下りていないとわかり、予約していた飛行機に乗れなかったという「顛末」のお話でした。特に今回は大学生になったお嬢様とのふたり旅ということもあり、楽しみにされていたニュージーランド訪問でしたが、お嬢様の初海外一人旅という別の形での「顛末」となってしまいました。

今回丁さんにビザが発給されなかったのは、ニュージーランド移民局から送られきた郵便をビザ発給の知らせだと丁さんが誤認したのが原因という形になってしまっていますが、丁さんは、ニュージーランド移民局のメールの伝え方がとても紛らわしいもので、はじめから発給を拒むつもりではなかったのかとの疑いをもっています。ニュージーランドのシンポジウムには朝鮮民主主義人民共和国のパスポートを持った在日朝鮮籍の研究者の方も参加されましたが、その方のビザが下りたのは出発当日だったそうです。丁さんがそれをニュージーランド移民局の嫌がらせではないかと考えているのも不思議ではありません。移民国家として多様な共生社会づくりを率先している寛容な国というイメージがありますが、今回の朝鮮籍者への対応をみると「ニュージーランド、おまえもか」という丁さんの強い思いが伝わってきました。

参加者からは寛容な国というイメージ自体が間違いであって、大陸的な大らかさを有するオーストラリアのあり方と比べてニュージーランドは部外者に対して閉鎖的な側面があるとの意見が出されました。豊かな自然やフレンドリーな対人関係などがニュージーランドの寛容さであると認識してしまうのも無理のないことですが、出入国管理の実務などでは閉鎖的な面があるのかもしれません。また、グローバル化が強まる一方でナショナルレベルでの線引きが強化されているのはニュージーランドだけに見られる傾向とは言い切れません。変動する現代社会の越境について改めて考える機会を与えていただいたお話でした。

(無国籍ネットワーク運営委員 梶村美紀)

2019年3月16日 第14回 すてねとカフェin大阪

第14回 すてねとカフェin大阪

 日時:3月16日(土) 午後3:00 ~5:30 ( 2:30受付開始)

 テーマ1「NPOみぎわについて ~~ 無国籍者の養子縁組の可能性」話者:松原宏樹さん

  このたび無国籍ネットワークは、養子縁組支援の活動をするNPOみぎわと交流することになりました。NPOみぎわの松原理事長をお招きして無国籍者の養子縁組支援についてお話しいただきます。無戸籍者、オーバーステイ、公にできない事情を持つ女性とその子ども達を救いたいという松原さんの、命の尊厳への強い想いをみなさんと共有したいとおもいます。(NPOみぎわHP→http://migiwa.link/

 テーマ2「ニュージーランドビザ申請顚末談」話者:丁章

事実上の無国籍者である丁章は、昨年12月1日~2日にニュージーランド・オークランド大学での在日コリアンをテーマにしたシンポジウムに詩人として参加するため、ニュージーランド(NZ)に渡航する予定でおりました。しかしながら、出発日の関空にて、NZ移民局から発給されたとおもっていたビザが下りていないとわかり、予約していた飛行機にも乗れずに、最終的に渡航できず、シンポにも参加できないという憂き目を被りました。その後に真相究明のためにおこなったNZ移民局とのやり取りなど、このたびのNZビザ申請の顚末について語ります。ノービザでの渡航が当たり前になった現在、その利便さゆえに国境の壁の理不尽さに気づかぬことも多いのではないでしょうか? 国籍や国境についてみなさんと考える機会になればとおもいます。

 

話者松原宏樹(NPOみぎわ理事長)/陳天璽(無国籍ネットワーク代表・早稲田大学教授)/丁章(無国籍ネットワーク運営委員・詩人)/梶村美紀(無国籍ネットワーク運営委員・大阪経済法科大学准教授)その他

 

参加費:1000円(1ドリンク付)要予約

本会のあと、ひきつづき懇親会があります(実費3500円程度)

 

会場:喫茶美術館  東大阪市宝持1-2-18  06-6725-0430 http://www.waneibunkasha.com

〈近鉄奈良線・河内小阪駅下車徒歩13分。JRおおさか東線・JR俊徳道駅徒歩16分。両駅からはタクシー利用(1メーター)が便利です。3月16日よりおおさか東線で新大阪―俊徳道が直通になります

 

無国籍について疑問に思うことや質問したいこと、誰かに聞いてもらいたいことなど、無国籍ネットワークの交流会「すてねとカフェ」に集まって、皆で思う存分語り合いませんか? 無国籍の方も有国籍の方も、ぜひお集まりください!

 

※ ご参加くださる方は、3月14日(木)までに下記までご連絡いただきたく、よろしくお願い申し上げます。

waneibunkasha@yahoo.co.jp

無国籍ネットワーク すてねとカフェin大阪 運営委員 丁章

———————————-

参加をご希望の方は以下の( )に◯を記入して、ご返信ください。

 

本会と懇親会の両方参加(   )

本会のみ参加(   )

懇親会のみ参加(   )

Translate »