無国籍者の声

李 文彪 氏

lee私は1952年4月16日中国上海にて出生。1989年2月ボリビア共和国に移住し、1993年4月ボリビア国籍に帰化しました。

1995年2月28日、私は三ヶ月ビザでビジネス訪問のため来日。
4月、中国国籍に戻るため、中国大使館の指示どおり、先にボリビア国籍を放棄し、中国国籍の回復手続きをしました。
しかしその後、中国大使館と北京の中国公安部の食違いにより、中国国籍の申請は却下され、結果として私は無国籍の状態になり、日本以外に滞在する所がなくなりました。

生きるために仕事をしなくてはならず、私は身に付けていた気功整体の技術を生かして、気功整体師として働き始めました。

13年以上無国籍の状態で、一番感じるのは精神的な苦しみです。家族、親戚と長い間離れ離れになり、母親は昨年90歳で亡くなりました、長男の私は最期の面会、葬式にすら出席することもできませんでした。泣きながら私はこれ以上悲しいことは無いと思いました。

56歳になった私はもう一つ悩みがあります。健康保険に加入できないことです。私は「国籍は一体なんなのか」と時々思います。国籍がなくても人間として生存の基本的な権利はあります。今の私の、すべての生活基盤は日本にあります。日本以外では生きて行けません。ですから国籍より、日本における在留資格がもっと大切だと思います。

私は2007年1月に東京入国管理局に出頭し、在留特別許可を求めました。今は、まだ違反審査の段階で待っています。
一日も早く在留特別許可を下さるように心から祈ります、皆様の応援をよろしくお願いします。

※2010年11月4日、李さんに在留許可が下りました。本当におめでとうございます。
写真はお祝いの食事会での様子です。クリックで拡大します。

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ユージン・アクセノフ 氏(インターナショナルクリニック院長)

aksenoff私は1945年、満州国の崩壊に伴い無国籍になりました。しかし、戦後は無国籍であるがために日本からもアメリカからも責められる事はなく、日本語が出来たためアメリカ軍で仕事をするという機会にも恵まれました。

おかげ様で日本にいながら、アメリカの医療も学ぶ事も出来ました。医者になって自分も経済的に豊かになると、家族を連れて旅行をしましたが、家族の中で自分だけが無国籍で、ビザの取得や入国、出国の手続きに時間がかかったのが、とても不便でした。

今現在84歳。私は国籍が欲しいとは全く思っていません。なぜならば、自由でいれるからです。今、自分が望んでいる事は、健康で出来るだけ長く医者として社会に貢献していきたいと言う事と、いつの日か争う事無く世界が一つになれれば良いと思っています。

※アクセノフ氏は2014年8月5日に逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。

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