9月30日に行われたトークイベントの報告です。
まず初めに、山村先生からトルコのクルドの人々の歴史的経緯及び地方都市の生活環境等の説明がありました。元々、クルドの人々は現在のイラン、イラク、トルコ、アルメニア等にまたがる山岳地帯に住んでおり、独自の国家を持っていませんでした。そのような中で、アラブ人やペルシャ人、トルコ人等と隣接する形になっていましたが、サイクス・ピコ協定により現在の各国の国境線に沿ってひかれたため、もともとの居住地域が上記の国々に分断されて住む形となってしまいました。
クルド人は人口2000万人以上で、世界最大の国家を持たない民族として今日に至ります。彼らはトルコにおいては人口の約14パーセント程度を占めています。大きな都市から離れた南東部が彼らの主な居住地域であり、そこでは農業に従事しているクルド人がほとんどで、所得は多くないとのことでした。トルコはクルド人に対して独自の言語を使用することを禁じる等、トルコ国民によるトルコとしての統一国家を掲げているため、結果的に田舎に居住しているクルド人は、学校ではトルコしか習得機会がないうえに、中学校もクルド人の住む地域では数少ないためにアクセスができないという事から、ほとんどが小学校卒業程度の学力を身に付けるしかないなどの問題点があります。また、中学校以上の高等教育を受けていないために、トルコでは高収入を得られる職場への就労には様々な困難があり、安定した生活基盤を築きにくい環境に置かれているとの説明がありました。
次いで、2000年に結婚のために来日したエルマスさんからの話がありました。ご主人とはトルコでお互いに顔は知っていた関係でしたが、日本で結婚式を挙げたころはまだ日本には男性しかおらず、宴席では本来男女の踊りとなるところを男性だけが踊るという状況だったそうです。当時は来日していたクルド人は皆、難民申請をしていましたが、受理された者はおらず、仮放免の不安定な日常であったといいます。特に女性は、妊娠、出産、育児という男性にはない生活上の大きなイベントがあるために、仮放免のみでは医療受診する際にも大きな苦労があったそうです。また、日本語が分からない気苦労と生活上の不便は、現在まで来日して日本に暮らしているクルド人の人々には大きな問題として残っているため、日本語ができるエルマスさんは、他のクルド人から頼りにされており、通訳等でできる限りの支援をしたいと週に半分以上は同朋からの要請に応えて動いているのが実際であるとのことでした。
彼らは難民として認められていないために、就労や移動の制限があります。また、保険がないために自由診療になってしまいます。そのため、体調が悪くなって受診すると医療費がすぐに何万円にもなる現実の中で生活は大変であるようです。エルマスさん自身は女の子2人を日本で出産していますが、子どもの具合が悪くなるとその費用は高額で、分割払いにしてもらっていたといいます。エルマスさんが来日後、今日まで苦労してきた生活上の困難を抱えているクルド人は現在もいるため、毎日忙しいということでした。日本はほとんどの申請者について難民とは認めないという方針ですが、加えて、日本で生まれた子どもは無国籍状態になってしまっているとのことでした。