グレッグ・コンスタンティン氏講演:立教大学社会学部 2016年5月30日

rikkyo1 「小さな両手に握られた、1冊のノート。この写真は、今日わたしが皆さんにお見せする全ての写真の中で、もっとも重要な1枚です」――その不思議な言葉に、誰もが首を傾げました。砂漠地帯を歩く、見るからに極貧に打ちひしがれた女性の写真。暗い部屋のなか、僅かに差し込む日光に照らし出される虚ろな眼差し…。これまで映し出された写真は、そのどれもが生きる希望を奪われ、「生きながらにして亡霊と同じ存在」である無国籍者の生き様を、これでもかと訴えかけていたからです。

一息ついて、先生は説明を始めました。「この小さな両手の持ち主である少年は、家の奥から粗末なノートを持ちだしてきて、最後の1ページをめくって、私に見せたのです。一生懸命に。そこには--そう、この写真に写されているページです。その少年の父親が亡くなる直前、最後の気力を振り絞って書いた、全ての彼の子どもたちの名前と生年月日が書いてありました。父親が書き残したこの手書きの名前と生年月日のリストだけが、この少年とその兄弟が持っている、唯一の生まれてきた証なのです。これ以外には何ひとつ、この世の中に身分証明を持たない子どもたちに、父親が残した唯一の宝物が、このノートなのでした。」

Constantine先生の講演は、ただ画像があるからというだけでなく、ひとつの画像が現れるたびに、まずその背景にある個人的な無国籍者としての経験が語られました。そして次に、なぜそうした経験をしなければならない人が生まれたのかという、地域的・歴史的な文脈が説明されました。そして最後に、なぜConstantine先生がその写真を撮ったのか、その意図が述べられるのです。最初から最後まで、プロジェクターに写真が1枚現れるごとに、教室全体の沈黙が深くなっていく講演でした。

ご講演の最後には、とても時間が足りないほど多くの質問が出ました。聴き手の我々にとって、いちばん印象的だったのは、「どうして先生の写真は、いつも白黒写真なのですか」という学生からの質問に対する先生の答えだったかもしれません。「今の時代、カラーの写真は便利にいくらでも取ることができるけれど。人々の印象に残るのは、昔ながらの、シンプルな白黒写真だと思うから」。もしかすると先生自身の生き様が、その言葉に重なるのかもしれません。インターネットで情報を何でも得られる便利な時代と人々が言う今このときに、世界の各地に足を運び、人々と会話して、自分の目と耳と心で理解しようと努力している、その姿に。

rikkyo2 そして最後に。Statelesss Network YouthのTimさん、Maryさんのお2人の通訳がなければ、この講演会は成功しませんでした。お2人とも--とくに昼食も抜きで大活躍してくれたTimさん、どうもありがとうございました。

石井 香世子 立教大学社会学部准教授

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